2015年08月17日

という意味だね

という意味だね

 これが主題であり、タイトルの意味するところでもあるのだろう。だが、これが、悩み苦しんだ挙げ句、高梨の行き着いた死生観だったとすれば、あまりにも悲しい言葉だと思う。
 早苗はページをめくって、最後の語り手による独白を見た。問題の箇所だ。

 涅槃《ニルヴアーナ》とは、吹き消す。お誕生韓國 午餐肉日おめでとう! 哀れなケーキの全身に打ち込まれてヤマアラシの針のように突き立ったロウソクの炎が、小さな気流にゆらいで消える。象徴的に自らの命の炎を吹き消す、この喜び。射精寸前のように脊柱《せきちゆう》を這《は》い上がる戦慄《せんりつ》。ようやく、ここまで来たんだね。思えば、長い道のりだったね。こうして、一歩一歩確実に、死に近づいているんだね。えもいわれぬ安堵《あんど》を感じるだろう? お誕生日おめでとう! 人が誕生日を祝うのは、まさにそういう理由からだよね。身も世もなく号泣しながらこの世に産み落とされた瞬間から、我々はみんな、一日千秋の思いで死を待ちわびているんだね。戦いの終わりを。マラソンのゴールを。解放の瞬間を。永劫回帰《えいごうかいき》を。ひそかに胸をわくわくさせながら、でも、素知らぬ顔で待ち続けているんだよね。ニンフォマニアの尼僧みたいにね。
 もうみんな、すっかり忘れたね。その昔、本当に昔、ある能天気な学生がのどかな遺書を書いて、華厳の滝から飛び降りたんだけど。でも彼は、きっと、何となくは理解してたんじゃないかな。大いなる悲観は、大いなる楽観に通ずるとか何とか。その言葉の意味するところは、なにもマゾヒストじゃなくったって、今の我々にはクリアーだよね。
 かえすがえすも残念なことは、生きている間しか死ぬ喜びを感じることはできないっていう、パララックスなパラドックスだね。生きる喜びとは、死を身近に感じること。生きてるだけで楽しいって? 考えてごらん、せめて、まだ生きてるうちに。はっはっは。もしもだよ。もしも、永遠に死ねないとしたらどうする? 暗くて寒くて空気も稀薄《きはく》な宇宙の中で、いつまでも意識を保たねばならないとしたら?
 それより、もっと別のシナリオもある。もし、次から次へと、わけわかんない生き物に輪廻転生《りんねてんしよう》していくとしたら?
 天国は、冥王星《めいおうせい》と海王星の間、彗星《すいせい》 の雲の核にあり、そこには、たくさんの門《ゲート》がずらりと並んでる。見たことはないけど、間違いない。そうなんだ。死んでようやく自由になったばかりの、僕らの不滅の魂は、生まれ変わりのために、どれか一つの門に強制的に取り込まれるんだね。前世は袋形《たいけい》動物の門をくぐり抜け、今生は毛顎《もうがく》動物門に吸い込まれる。来世は有櫛《ゆうしつ》動物門、来来世は有鬚《ゆうしゆ》動物門が待っている。その次? 星口《ほしくち》動物門か、そのたぐいだろうね。どんな生き物か、見当もつかない? まあ、開けてびっくりだね。はっはっは。鳥になって、自由に大空を飛びたい? 夢があっていいね。でも、生き物の数、考えてごらん? 脊椎《せきつい》動物の目があるだろうか? 宝籤《たからくじ》どころの騒ぎじゃないね。ほとんど、発狂しそうな確率だね。
 あ、でも、もしかして脊椎フェチ? だったらこれはどうだろう。ものは相談なんだけど、脊索《せきさく》くらいでよかったら、第一志望はホヤ、第二志望はギボシムシ、第三志望はナメクジウオというのでは? はっはっは。
 そうして、思考能力のない、ただ感じるだけの意識、盲目的な欲求、機械的な反射、それに苦痛だけが、果てしもなく続いていくんだね。闇《やみ》の中でひたすら、蠢《うごめ》いて、蠢いて、蠢いて、死ぬ。もがいて、もがいて、もがいて、喰《く》われる。そしてまた、這いずって、這いずって、這いずって……。もう、明らかだね。永遠に生きるのと、永遠に死んでるのと、どっちがベターなのか。
 だけど、心配はいらない。来世も霊魂も、ただのタナトフ旅遊業務ォビアたちの世迷い言。我々は結局、遺伝子の作った機械にすぎないよね。せいぜい電池が切れるまでの寿命。さあ、もうこれでだいじょうぶ。悪夢は去ったね。祝おうね。人に生まれた幸せを。お楽しみは、これからだからね。
 死を思おうね。死が約束されていることを思おうね。死が、はるか遠い彼方《かなた》から、亀のような鈍重な足取りで近づいてくることを思おうね。(ただ、気をつけた方がいい。この亀は、うっかりよそ見をしていると、突如甲羅の穴から火を噴いて、回転しながら飛んで来たりすることもあるからね。はっはっは)



Posted by 不再為彼此落淚 at 15:35│Comments(0)
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